ストーリー
マンギマンの秘密
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怪獣プロレスをめざして
1971年4月、『YKK アワーキックボクシング中継』の後番組として、TBS 系列にて放映が開始された特撮番組『マンギマン』。主役となるのは、正義の怪獣マンギマン。毎回、凶悪な怪獣たちと壮絶な肉弾戦を繰り広げる、“怪獣プロレス” を前面に押し出した異色のヒーロー作品である。
本番組が誕生した背景には、当時巻き起こ っていた第2次怪獣ブームと、TBS 編成局の内部事情がある。当時、外国人レスラーの招聘トラブルが多発していた『TWWAプロレス中継』のかわりに、「ならば着ぐるみ怪獣に “プロレス” をやらせればいい」という企画が急浮上する。既存映像を再編集、戦いのみをプロレス実況風に仕立てた『ウルトラファイト(1970~71年)』の成功もあり、「怪獣同士の格闘は、演出次第で充分 “見せ場” になる」という確信が生まれたことで、本格的な新作として『マンギマン』が立ち上がることとなったのだ。
ドラマなき怪獣プロレス
放映枠の冠スポンサーであるYKK(当時:吉田工業)は、「強さ」「耐久性」「信頼性」というブランドイメージとマンギマンのキャラクター性を結びつけ、番組を通じた企業プロモーションにも力を入れた。TV雑誌や業界紙などでは、着ぐるみに同社のファスナーや金具が採用され、その「耐久性」の高さをアピールしている。
番組の構成は、毎回1話完結。突如出現して暴れる怪獣を、マンギマンが単身で迎え撃ち、激闘の末に勝利をおさめるというシンプルな内容であった。人間ドラマやSF的な背景設定は、ほぼ皆無で、「怪獣同士がとにかく戦う」「とにかく戦いを見せる」に徹した潔さが本作の真骨頂であった。物語や怪獣のバックボーンはテロップなどで紹介され、場合によっては作中の実況ナレーションで処理されることもあった。光線技も使わず、オープンセットでマンギマンと怪獣同士がただひたすらに殴りあうという、ともすればシュールな映像が展開する。主人公であるマンギマン以外の怪獣同士の対決も前座試合的に組み込まれるなど、その番組フォーマットは完全にプロレスやキックボクシングの中継を踏襲していた。


思わぬ事情で幻に
今日の目でみれば、取ってつけたようなドラマ部分は、WWEなど海外プロレス番組のに見られるスキット(幕間劇)を先取りしているとも言えるが、当時のゴールデンタイムのお茶の間で放送するには、スポーツ番組としては「真剣さ」「リアルさ」が希薄であり、特撮番組としては「チープさ」が目立つ結果となってしまったのだ。とはいえ、怪獣と名がつけば何でも人気を呼んだ時代であったので、それなりに視聴率をあげていた。
ドラマ性が希薄とはいえ、ドラマ番組でありながらスポーツ編成部が主導するという異色の体制で制作された本作は、クオリティは高くなくとも、数字をとることには成功していた。しかし、そのことが思わぬ不幸を呼び込むことになる。
局内においてスポーツ編成局がドラマ作品を制作することに対して局内に強い反発が持ち上がったのだ。そのため当初は13話が製作され、第1話の放送開始直後に3クール (39話) 分の製作が決定。実質的な最終回である第5話の放送時には、ほぼ全話が完成していたにも関わらず、前述の理由から第5話まで放送された時点で番組は終了する。
海外からの再発見の波
後番組は何事もなかったように「YKK アワー キックボクシング中継」が復活して放送された。この突然の終了劇にはさまざまな理由が存在する。そして本作への反発はドラマ製作班以外にもスポーツ編成局にも根強く、局としても1971年4月から放送予定の『帰ってきたウルトラマン』が控えていたこともあり、本格的な特撮作品である『帰ってきたウルトラマン』に傾注することとなったのだ。また、YKKによる1社提供番組ではあったが、劇中の激しい暴力性から、製菓メーカー、文房具といった他のマーチャンダイジングが伸び悩んだことも理由のひとつであたとされる。その結果、本作品の存在は局内でも一種のタブーとなったこともあり、振り返られる機会は失われた。
ドラマ性の希薄さゆえに、1970年代末の「再評価ブーム」「第三期怪獣ブーム」では取り残され、その存在は忘れられて近年になって状況は一変。海外の特撮ファンの間で“原始的で力強い怪獣バトル”として再評価が高まり、SNS上では切り抜き動画やオマージュアートが急増。中でも、記念すべき第 1 話に登場したトロールパンダとの空き地での格闘シーンは “昭和怪獣アクションの原点” として人気が再燃したのだ。国内ではTV局の政争に巻き込まれる形で放送は潰えたが、その映像は海外番販で海にわたっていたのだ。1995年より活動を開始したプロレス団体「Kaiju Big Battel」も本作の影響によって誕生したと言われている。そのため当初は海外のファンが日本のファンに尋ねても誰も知らないという珍現象が生じ、そのことがバラエティ番組のネタになったことで、日本人の知るところとなった。現在はサブカル方面を中心に本作の人気が再燃しており、カルト作品として一種のネットミームにも使われるようになった。
前述の事情から、番組マスターの管理も曖昧で、長らく映像素材自体が行方不明とされていたが、近年になって、再評価の気運を受けて素材の発掘や4Kマスタリングによる復刻プロジェクトも水面下で進行中とされている。
